間もなくCodex Barbèsのレコーディングがスタート。来週その第一弾4曲の録りと来月第二弾のプリプロのため、録りの準備と新曲作りを同時進行中。あんまり寝てないのですが、明日はとても大切な日のひとつだと思うので…
核がない!…という人(年齢経験性別身分職業人種国籍を問わず)のことについて考えてみました。
・人種国籍で他人を差別をする
・外からの脅威を煽るデマを吐く人や情報機関の常套手段な言葉に簡単に煽られる
・内省ができないしたくないので過去の不都合な事実はなかったことにしたがる
・どこにもないはずのカラの札束をチラつかされただけなのに自分へのおこぼれをまず期待する
・他人の言葉を聴くことができず議論をすることもできずただひたすら自分の知っている言葉だけを呪文のように唱え続ける
・上のような人の唱える呪文をなんの疑問も持たず簡単に信じ込む
これらの人は自分の内に核を持っていないのでいつも不安で仕方がない。なので本当はいつも浮足立っている。でも自分が不安でいつも浮足立っていることを他 人には知られたくないので、その場その時でより強そうに見える者のそばに群れたがる。そしてその強そうに見える者の言葉を簡単に受け入れて、それをあたか も自分の考えであるかのように思いこみ、他人にもその考えを強要するようになる。
その核のない人は、自分はきちんと考えて今の考えに至ったと思いこんでいる。でもその人は「考える」ということには2種類あるということに多分気づいてい ない。ひとつは「思考する」こと。もうひとつは「反応する」こと。自分では「思考」しているつもりでも実はただ「反応」しているだけの場合がたくさんあ る。核のない人はいつも不安で浮足立っているので、じっくり「思考」している余裕なんか頭にも心にも持っていない。なので核のない人はひたすら「反応」だ けしかできなくなってしまう。その人が「反応」だけで得たその考えは「思考」して得たものではないので決してその人自身のものではなく、何かを得たつもり でもやっぱり内の核は空っぽなまま。なのでやっぱり不安から逃れることができず、核のない不安を消してしまおうとますます必死にその考えに固執する。
今、目の前で世界中のいろいろな場所で起こっている、それに過去のいろいろな場面で起こってきたことというのは多分こういうことでしょう。
さて核のない不安な人たちに幸せな時は訪れるのでしょうか?
自分の盲信した「他の誰かの考え」が世の中を支配するようになったとしたら、果たしてその人は核のない不安を消してしまうことができるのでしょうか?
その人の取った行動が何か大切なものを壊してしまって、いつかは自分自身までも壊してしまう時が来るかもしれないということに、果たしてその人の「考え」は至ることがあるのでしょうか?
明日またひとつそういうことが見えてくるんでしょうか。
2016年7月9日